Profile

プロフィール

ー 子供時代 ー

着物屋の3姉妹の次女として生まれ育つが、蝶よ花よと育てられたというより、
小学校に入る前からお店の手伝いをよくしていた。
特に、着物以外にお葬式でお香典のお返しに配る、引物と呼ばれる、
タオル・靴下・シーツとかを納品するまでのお手伝いが突発的にあった。

お葬式だから、突然忙しくなることがあった。
小学生になると、そんな日は早く帰ってきて、と言われ、
帰ると段ボールが山積み。それを検品、包装し、のし紙つけて納品。
私は、妹がいるものの、下っ端なので、検品が主な仕事。

あと、家族みんなの紙やテープ、商品がないというのを
無くなりそうな時期を見計らって用意をする。
妹が幼稚園の時など、仕事がなくなると、よく段ボールに入ってサボるので、
それのチェックや注意をしたりする事も。

数件重なる日もあり、ご飯やお風呂以外は、家族6人(祖母もいた)で
集中して作業していました。朝も早くに起こされて、早目の食事。
ギリギリまで作業して、車で父に姉妹みんなで送ってもらうことも。
高校くらいまで、かなり手伝っていたように思います。

年末もお店のタオルたたみ、棚卸しの手伝いなど、
夏休みは、お店に来る人の子供用に巾着袋をひたすらミシンで作っていました。
お店の手伝いは好きでしたが、女性が多かった事もあり、
料理をつくったり、家事は他の人がやって、私はあまりやらない人間でした。

ー 就職・迷走時代 ー

将来は、着物か洋服を作る被服系かデザインの美術系の職人になりたいと思っていました。
特に、グラフィックデザイナーという職業が、
肩書きが華やかに見えそうではあるものの、地味な職人業の仕事ということに
興味があり、職人になりたかった私はやってみたいと思っていました。

しかし、団塊ジュニア世代の大学受験は厳しく、当時、大学で美術系の倍率は20〜40倍、
1浪しないと入れないと言われ、かといって専門学校より大学を出てる方が
将来的にいいのかな?と思い、また浪人より早く就職して仕事を覚えたい気持ちも強く、
被服科の短大を選択。夜間にグラフィックデザインを1年間勉強しました。

就職は、徐々に和服や洋服を作るより、グラフィックデザイナーになりたくなった。
ならば、デザインの専門学校に入るべきだったと思い知ったのは、
もっと後の話でしたが、とにかく被服科で広告代理店やデザイナー職を探しても
私が行きたいと思えるような、いい就職先はなかった。
(就職試験を受けてみたら、営業職やオペレーター職ばかりが現実でした)

でも、営業をやりたくない、などと言っていたら、10社程全て落ちてしまいました。
バブルが崩壊し、就職氷河期というのもあって、卒業までに就職が決まらず、
営業をやりたくない、って言ってしまったのがいけないかと思い、
下着の訪問販売のアンケートとりの仕事をアルバイトで半年やりました。

アルバイトだけど、この仕事、1件1件をドアを叩いてまわり、
下着のアンケート取っていますと、補正下着に興味があるか聞き、
興味ある人に、アドバイザーを呼んできて商品を売るという仕事でした。

売上表などもあり、私の成績は下の方でした。辞めたい辞めたいと
連日思っていましたが、今思うと、これより辛い仕事はなかったかもしれません。
相当、メンタル的にも、営業スキル的にも鍛えられた仕事ではありました。

その半年の間にデザイナーになりたいと面接に行き、
3ヶ月以上決まらなかった会社ではありましたが、何回も何回も連絡したら
根性ありそうだから、と採用されて、デザイナーのアシスタントを始めました。

ー サラリーマン時代 ー

20歳で務めた1社目で、は7〜8人の小さなデザイン事務所で、
パッケージやエディトリアル、広告など、それなりに大きくて

デザイン的にも楽しい仕事に携わらせていただきました。

2年弱つとめて、50人くらいの広告制作会社に転職しました。

その転職時期ですが、1社目の途中、22歳で結婚。

1社目〜2社目の変わる時期に新婚旅行。

2社目の途中、24歳で離婚しました。子供はいなかったです。

22歳で入った2社目は、大手広告代理店をはじめとする代理店から受注する広告制作会社。
広告キャンペーンで、ポスター・新聞・雑誌・交通広告など作る仕事が多かったです。
週のほとんどがタクシー帰りで、夜中1〜2時に終わって
さらに飲んで帰る日々だったしました。6年半くらい務めました。

2社目で働くも28〜29歳、色んなことに行き詰まりました。
会社を辞めて、ロサンゼルスで1年半過ごしました。午前中は英語の学校に行き、
午後は現地の広告代理店で仕事、最後の方は寿司屋で生活費を稼いだりしました。

結局、ロサンゼルスから帰り、派遣でデザイン関係の仕事を始める。
派遣の1年で120万円位貯めて、フリーランスとして独立する資金としました。

ー 個人事業主時代 ー

2005年2月、31歳、個人事業主を始めました。
異業種交流会に行ったり、昔の仕事仲間に声かけたりして
運が良かったこともあり、当初から派遣でもらえるくらいは稼げました。

2年目を過ぎた頃には忙しくなり、人を雇い始めました。
ですが、その後、2人目を雇って半年もしない、2008年秋、リーマンショックに。
ちょうど、その9月・10月に第一子の妊娠が発覚しました。

すでに産むときは36歳で高齢出産となりました。
景気が悪くなると、仕事も減る事は予想できましたし、
初めての妊娠で、仕事と育児の状況も読めないこともあり
雇っていた人もその年に辞めてもらうことにしました。

一人で細々と仕事をしながら、時間のある時には、WEBの勉強を始めました。
交流会で知り合った起業家達が、いいと言っていたWordPressを試したら、
色々できて、これがわかってデザインができたらいいと思い、カスタマイズを始めました。
でも、最初は何をやっても全然うまく行かず、
1年半位して、ようやく全体的な作りが見えた気がしました。
(遅いですが、仕事と育児の合間に勉強をしていました)

それからは、知り合いのサイトを作っては、WordPressのカスタマイズをし、
基本は、あるテーマのデザインを変えるところから始め、
PHPはたまに書き換えていく程度でした。

そういえば、リーマンショックが起こって1ヶ月後、株投資を始めました。
仕事の合間にやり、10年弱で1000万近く貯めて、後々、会社設立の資本金に当てました。

42歳。3人目が中々できずに半ば諦め、子供2人がそこそこ大きくなったので、
きちんと場所を借りて仕事をすることにしました。
その後、人を雇って半年過ぎ、まさかの3人目の妊娠が発覚しました。

44歳で出産。3月に出産しましたが、同年7月に株式会社くのいちデザインを設立しました。

ー 会社設立をして ー

くのいちデザインを設立してからは、出産・育児で働ける時間の波があったことが、
自分の課題だったこともあり、出産・育児や介護など、そのような状況でも
働ける組織を作りたい、そんな想いで、始めました。

多くのクリエイターは、少数精鋭で頑張られている方もたくさんいらっしゃいます。
そんな方たちをつないで、より良い仕事ができるように、協力したい、
そして、みんなが幸せになれる世界ができればと切に願っております。

PAGE TOP